衆議院が解散し、いよいよ総選挙が近づいてきた。民進党が解体し、希望の党と立憲民主党に分裂した「野党再編」が盤石の保守系、自民・公明にどう立ち向かうのか。かつてのリベラル政党の猛烈な支持層はどこに消えたのか。衆院選を前に、もう一度日本政治の点検をしていく。初回の今回は、リベラルとは何か、である。
リベラルとは何か
リベラルとは一般的に個人の自由を重んじる思想的は立場のこと。米国では主に少数者の権利や福祉政策などを重視する立場を指す。
日本では、冷戦期の旧社会党などの革新勢力・左派がリベラルと呼ばれ、2009年の民主党政権誕生時は「リベラル勢力の結集」と呼ばれ、それが正しい使い方なのかどうかは議論があるが、日本でもリベラルという名称が定着している。
今の日本政治でいえば、護憲派、自衛隊の海外派遣に否定的、低所得者への再分配などがリベラルと呼ばれているが、それらの主張を唱えればリベラルと呼ばれることは間違いであるとの指摘もある。
保守の自民党内でのリベラル派の派閥は存在し、それが「宏池会」(現・岸田派)である。宏池会は自由主義、社会の多様性を重視し、憲法改正には慎重な立場を取る。このように同じ党内での様々な意見があることは民主主義国家として、正常な形であると考えられる。
上記で触れたが、「護憲派」や「自衛隊の海外派遣に否定的」な勢力がリベラルと名乗ることは間違いである。一般的に海外のメディアではこれらの勢力を「左派」「極左」と表現するが日本のメディアはその表現を使わない。私からすれば共産党・立憲民主党・社民党などは「極左政党」であり、そのほうが国民にはわかりやすい。なぜそのように「濁した」表現をするかは新聞各社に聞いて見たいところである。
偽装リベラルに騙されてはならない
民進党は消滅し、希望の党への合流、立憲民主党への参加、無所属での出馬の3つのルートに分かれた元民進党議員の中で、希望の党に入党した議員は要注意である。なぜなら希望の党はどちらかといえば「保守系」の政党であり、昨日発表した公約を見ればそれは一目瞭然である。
旧民主党と民進党は「安保法制反対」を貫いてきた。その彼らが今度は希望の党で「安保法制賛成」と叫ぶ。それは絶対に許してはならない行為であり、国民への裏切りそのものである。彼らの政治信念がリベラルであるなら希望の党に入党する資格はないし、なぜ入党するかといえば、それは選挙に勝つためである。このような政治家に振り回される日本国民は本当に不幸である。
そもそも旧民主党もリベラルであるかは微妙だった。2009年の政権交代が実現した総選挙では「リベラルの結集」と銘打って大ブームを起こしたが、実際に政権を担って、民主党のリーダーの取った政策は「消費増税」と「対米萎縮外交」を政策軸とする「第二保守党」と化し、変革への意思を霧消させてしまったからである。彼らの取った政策は「保守」だった。つまり「リベラルの再生」とは旧民主党勢力の復権を意味しないということだ。
そう考えれば日本の政党で、本当の意味でリベラルを追及する政党は存在しないのではないだろうか。
結論・リベラル理想は単なる理想論で終わる可能性
リベラルは自由を追求することが第一の基本である。そうすると小さな政府を目指すことになるが、所得の再分配や福祉の充実といった政策からは大きくかけ離れ、多くを望むリベラル派の夢は夢で終わるのではないだろうか。
立命館大学の斉藤拓氏は論文で「現代の分配的正義論において、主体は個人であるとして、分配対象と分配基準については抽象的なレベルでさえ大きな意見の分岐がある。それでも、所得だけを分配してよしとする議論など皆無である。所得を分配対象とし、同時に、各人はより自由であるべきだという立場をとるので、自由の大きさとは所得の大きさであると主張しているように映る」と指摘している。
自由の大きさは所得の大きさと同じように映る。その主張を確かに日本の左派は訴えているように思える。所得の再分配を実現するには福祉政策の充実だが、それには大きな政府が必要となる。さらにその財源は増税が視野に入り、自由とは大きくかけ離れ、さらに経済が衰えては意味がないので市場経済が強くなければならない。
リベラルが追及する理想の社会は、現代では実現不可能ではないだろうか。上記の問題に加えて、北朝鮮の核・ミサイル問題で国防体制の見直しは必至であり、中国の領海侵犯問題も含めて安全保障の充実が必須の日本社会である。しかも日本の政党に真のリベラルが存在しないなかで、日本のリベラル派の主張に未来があるのか疑問である。
Mitsuteru.O
参考文献「リベラルな中立性と小さな政府」
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